『図書館の魔女』の勉強会 第一巻 1やまざとでのさいごのいちにち⑪

P16 L7   だがこの炭は窯を預かる交代の炭焼きに託していく。

   L13  ここ山の里では、古から山賤(やまがつ)として知られる民が、ながらく鉄と石と炎をめぐる生業(なりわい)を営(いとな)んでいる。

 

キリヒトは単独で炭焼きをしているのではないようです。前項でも触れたように「三本目」とありますから、窯も少なくとも3つあります。

 

   L15  土と石と鉄と炎から、人の耕作に、煮炊きに、あるいは軍事に供する、道具や武具を作り出すこの里の稼業は、どうしても山に張り付いて営まねばならないことだった。

 

 どうやらキリヒトが暮らしていたこの「山」は、「鍛冶(かじ)」の村であったようです。赤く熱した鉄(その段階では「錬鉄」というのだそうです)を、打ち叩いて「鍛(きた)える」。私は長いこと、叩いて伸ばして成型しているだけなのだと思っていたのですが、叩いて火花を散らすことによって不純物が取り除かれるのですって⁈あの火花にそんな意味があったなんて知りませんでした。よく、刀鍛冶の映像で、ふいごの風に炎を上げる赤い炭の中に刀を差し込んで熱するシーン!ただ、熱くしているだけじゃなくて、「炭」に包むことによって炭素を加えているんだなんて!知りませんでした。

          f:id:tsuki89ma7ki0:20200210142313j:plain

それらがみんな、「経験」によって得られたものであることに深い敬意を抱きます。どれけの年月が積み重ねられたものなんだろうと。

『図書館の魔女』勉強会 第一巻 1やまざとでのさいごのいちにち⑩

 

 

 P14 L15 任(まか)された炭焼き窯(かま)の、最後に火を入れた一本に「窯止(かまど)め」を施(ほどこ)さねばならない。 

「炭(すみ)」です。

          f:id:tsuki89ma7ki0:20200116171601j:plain

 

 「炭火(すみび)焼き」とか「備長炭びんちょうたん)使用」とか、あるいはお部屋の消臭剤に「炭と 白檀(びゃくだん)の香り」とか、バーベキュー用のものは百円ショップでも扱っていますね。現在でも生活の中で見かける文字ではあります。防湿剤としては古墳時代から使われているようです。

もともとは、木の燃え残り、少し進化すると燃やしている木に土をかぶせて燃焼を止めるなどでできた「消し炭(けしずみ)」だったと考えられています。炭は燃焼時間が長く、「煙」があまり出ません。洞窟生活を送っていた太古の人類たちには重宝したのではないでしょうか。ただ、「炭」として作り利用していたのかどうか、出土品からは今のところはっきりとした証拠を得られていないようです。

 

「炭」は木を「蒸し焼き」にすることで作ります。それが「炭焼き」です。検索すると一斗缶(いっとかん)やアルミホイルを利用して自分で作る方法を紹介している方が何人もいらっしゃいますね。キリヒトは「窯(かま)」で作っています。

          f:id:tsuki89ma7ki0:20200116173055j:plain

窯の内部を700度とか1000度に何日も「蒸し焼き」にするので、大量の薪(まき)が必要です。自分の家の中の煮炊きや暖房なら、単に薪を炉にくべればいいわけで、わざわざ大量の薪を消費してまで「炭」を作る必要はないのです。

「炭」はその火力の強さが必要とされるのです。たとえば古代の「製鉄」。

「莫大な」量を必要とした、らしいのですが、それが具体的にどのくらいなのかまではサーチ力不足でわかりません。たとえば、奈良の大仏を鋳造するのに「16656斛(こく)」の「炭」が使われたそうですが、1斛=10斗として、現在だと1斗=約18ℓで、ええーと・・・300㌧? 奈良時代とは度量衡が違いますから、正確ではありませんが、それでもこの1㌧の炭を得るのにどれだけの薪を燃やさなければならないんでしょう。

この「16656斛」という数字は、『東大寺要録』という文書にあるそうで、そのことは樋口清之先生の『新装版 日本木炭史』(講談社学術文庫)から引用させていただきました。

とにかく、「炭焼き」は「製鉄」と深いつながりがあるのだそうです。キリヒトもそうでしたね。彼は「下手の鍛冶屋(かじや)」に、その炭を納めています。そのつながりはこの後にちゃんと描かれています。

 

『図書館の魔女』勉強会 第一巻 1やまざとでのさいごのいちにち⑨

P13 L13 桶の縁(ふち)から中心に向かって収斂(しゅうれん)していった。

 「収斂」・・・(「斂(れん)」は縮(ちぢ)む意。)縮まること。

                     (『新明解国語辞典』(三省堂))

    L14 書きあがった親書(しんしょ)をすでに封筒に入れ

 「親書」・・・自筆の手紙。狭義では天皇や元首などの手紙のこと。(上記新明解)

前ページで老人は「「羽のすり切れた鵞ペンをふるわせながら」「几帳面な文字を刻んでいた」とありますから、「自筆の手紙」に違いなく「親書」にあたります。が、「手紙」とせずに「親書」となっているところが引っかかりますね。誰に当てた手紙なのでしょう?直接会う人に手紙を出す必要はありませんよね。とすると・・・?最後まで読んでも答えはありませんが、もしかすると?という想像の手掛かりは残ります。新作での展開が楽しみなところです。

 

ちなみに・・・。

似た言葉に「親展(しんてん)」があります。私たちでも時折、封筒に押された赤い文字を目にすることがあります。

 「親展」・・・名あて人自身が手紙を開封することを求める言葉。(上記新明解)

つまり、この印が押されている封筒は、宛名の人以外が開封してはいけない、という意味です。宛名人のプライバシーに関わる書面、請求書とか診断書とかを送る際にこの印を押すわけです。

 

「親書」がらみでもう一つ、「信書(しんしょ)」という言葉もあります。辞書だと「個人の手紙」と出ています。普段、私たちの生活の中ではあまり見かけないのですが、それでもどこかで目にしている可能性はあります。私は「宅配便」などを送る時、「信書」は送れない、という注意書きを目にしたことがあります。荷物は送れるけれど、「手紙」は送れないのですよね。私には「???」ですが、これは「郵便法及び信書便法」という法律でちゃんと規定があるのだそうです。これについてはいろいろ議論があるようです。興味のある方は、関係のサイトなどを調べて見てください。

P13 L12 手桶をかまどのそばの壁際にそっと置いた。

「かまど」です。

 私のイメージだとこんな感じなんですが・・・なんか違うな・・・。

        f:id:tsuki89ma7ki0:20190610163707j:plain

もう少し探してみると・・・

        f:id:tsuki89ma7ki0:20190610164022j:plain

こんな感じでしょうか?

もうちょっと室内は薄暗いイメージがしていますが、皆さんはいかがでしょうか。

「囲炉裏(いろり)」というのは部屋の中央にあって、「囲(かこ)い」がない「直火(じかび)」で調理したり、暖(だん)をとったりする方法で、それに対して「かまど」は火を「囲う」ことによって火力が上がり、また調理する人も直接火にさらされることが少なくなって効率が上がったということのようです。「暖炉(だんろ)」も似ていますが、「暖炉」の方は基本的に暖房装置ですし、歴史的に見ても

暖炉はその建造にかなりのコストがかかるため、暖炉の数や煙突の数に応じて税金がかけられるほどの高級品であり、(ヨーロッパでも)1819世紀頃までは一般的な家庭には存在しなかった。(ウィキペディア「暖炉」より

とあるように、かなりしっかりとした建物に設置される装置です。キリヒトたちのこの「山里」そして「一ノ谷」は、読んだ感じでもそんなに「北方」とは思えませんし、そもそも質素な「小屋」ですので「暖炉」はないと思われます。ただ、このキリヒトたちの小屋にあるのがどんな「かまど」だったのかはちょっと想像がつきません

 

『図書館の魔女』勉強会 第一巻 1やまざとでのさいごのいちにち⑧−2

P13 L3

まだ、井戸です。

       f:id:tsuki89ma7ki0:20190610154821j:plain

今は「トトロの井戸」で有名なったポンプ式の井戸ですね。若い年代の方は「井戸」っていうとこちらを連想されるかもしれないので、一応触れておきます。

「ポンプ」式の発祥は、古代エジプトで発明されたなどと諸説ありますが、写真のような鋳物製のポンプが日本で普及したのは、昭和に入ってからのようです。しかし、昭和30年代以降、水道設備が整うにしたがって「井戸」は姿を消していきました。ところが「阪神淡路」「東日本」の震災を契機に「井戸」の役割が見直され、現在では非常災害用として自治体が整備しているものもあるそうです。

 

 たまたまジブリの『ゲド戦記』を見ていたら、「井戸」のシーンがありました。「滑車」式ではなく、「ロープ」を太い木軸で巻き上げる方式でした。そういう「井戸」もあったのですね。

 

「ポンプ」はこの物語でも、後半大切な要素になってきますので、ちょっと気にしておきました。

 

『図書館の魔女』勉強会 第一巻 1やまざとでのさいごのいちにち⑧−2

「滑車(かっしゃ)です  。f:id:tsuki89ma7ki0:20190518131545j:plain

 

 古代エジプトアレクサンドリアで活躍したのギリシア人工学者・数学者ヘロン(紀元10年ころ?〜70年ころ?)が著書の中で、最も基礎的な機械としてあげた5つの「単純機械」の中に「滑車」は入っているそうです。ちなみに、ほかの4種類は「ねじ」(現在の「ねじくぎ」ではなく「らせんポンプ」のような機械のことだそうです)「くさび」「てこ」「輪軸(わじく)」。つまり、紀元前後にはもう「滑車」は機械として使われていたわけです。

 紀元前1世紀頃、ウィルトウィウスがその著書『建築について』の中で「ウィルトウィウスのクレーン」と呼ばれるものを書いているそうです。クレーンには「滑車」が必要なのです。

 紀元前4世紀頃に活躍したアリストテレスの『機械学』には「滑車」の記述があるそうです。

 それ以前は文献そのものがありません。あとは、遺跡や出土品に描かれたり、浮き彫りにされたものから想像するしかないようです。それによると、有名なエジプトのクフ王のピラミッド(ギザの大ピラミッド)を作った時=紀元前2560年頃=には「滑車」は使われなかったのは確かなようです。

 ただ、エジブトで出土した紀元前2400年頃のものとみられる浮き彫りには、船の帆がたくさんのロープによって支えられている様子が描かれている。これには「滑車」が使われいるのではないか?想像だそうですが。

 こういう「技術」の発達の歴史は、その時代の人々の工夫と経験と格闘の歴史をたどることになるので、勉強している=ネット上をウロウロとするのが主ですが=と楽しいです。上記のことは『コベルコ建友会(社友会)』の「アーカイブ」の中の論文を参考にさせていただきました。

「コベルコ」はあの「神戸製鋼」のことです。「建友会」とは、「神鋼建設機械部門とコベルコ建機(株)およびその関連企業」に規定期間在籍されたことのある方々の親睦・友好をはかる会だそうです。   

 そのサイトに「コベルコ アーカイブ」というバナーボタンがあって、「コベルコ建機の歴史を一まとめにした資料があれば懐かしいものです」という説明とともにまたいくつかのページボタンが出てきます。その中の、

  『クレーン(起重機)の歴史 重いものを動かすことの変遷』(H24年)

と題されたPDFで100ページにもなるレポートを、今回私には大変興味深く読ませていただきました。筆者は河島邦寿さんという方で、長年神鋼建機の建設部門などで実際のクレーン技術者でいらしたようです。「クレーン」という名称の考察、そして古代から現在に至る「クレーン」の歴史。日本での歴史も、絵巻物や屏風絵などを丹念に観察してお書きになっているので、専門用語や計算式を飛ばして読む素人にもわかりやすく書かれています。

 ということで、「滑車」は歴史が長いんだなぁー、が結論です。

 

『図書館の魔女』勉強会 第一巻 1やまざとでのさいごのいちにち⑧−1

P12 L3 樫(かし)の木陰に井戸があった。

 樫は常緑で、葉につやがある温帯でも暖かい地方に多い樹木です。どんぐりのなる種類もあるし、炭焼きに使う種類もあります。豊かな森のイメージがありますよね。

 さて、「井戸」です。

f:id:tsuki89ma7ki0:20190514192410j:plain   f:id:tsuki89ma7ki0:20190514192710j:plain

 こんな感じでしょうか?

 

P12 L4 少年は滑車(かっしゃ)を軋(きし)ませて・・・

 とありますから、いわゆる「つるべ井戸」だと思われます。

滑車(かっしゃ)とは、中央に1本のを持つ自由回転可能な円盤(索輪)と、その円盤(索輪)を支持して他の物体に接続するための構造部とで構成される機構であり、円盤(索輪)外周部に接する棒状物または索状物の方向を案内する目的のほか、索状物の張力を他の物体に伝達したり 索状物へ張力を与える目的に用いる器具である。(ウィキペディアより)

また「滑車」で引っかかってしまいました。ちょっと勉強してきます。