『図書館の魔女』の勉強会 第一巻 2しゅたったつのときはちかづく⑧

 P32L3 一の谷からこの里まで健脚をほこるものでも丸(まる)四日、早足が自慢の伝令使(でんれいし)でも優(ゆう)にあしかけ三日は要する行程だ。

けんきゃく【健脚】(その年齢の普通の人より)足の力が強く、よく歩けること(様子)。「-を誇る/-家(か)」(『新明解国語辞典』)

『図書館の魔女』の世界には、「電信」的なものはないようです。すべては人がその言葉を伝えます。「伝令使(でんれいし)」は、その中でも公的な伝達を運ぶ任務を帯びた人でしょうか。

あしかけ【足掛(け)】①(年・月・日の計算で)最初と最後の端数を一とするかぞえ方。「-三年」 ↔満 ②(柔道や器械体操で)相手の足(鉄棒)に自分の足をかけること。(『新明解国語辞典』)

「月」や「日」にはあまり使いませんが、「足かけ3年にわたって・・」などという言い方はよく耳にします。 つまり1月から始めても、12月から始めても「1年」と数えることです。同じように1月に終わっても、12月に終わっても「1年」。極端な例を挙げると

         12月開始・・・1年目

    1月 ~ 12月  ・・・2年目

    1月 ~ 12月  ・・・3年目

    1月終了      ・・・4年目

実質は2年2か月なんですが、「足かけ4年」という表現になります。

それにしても「丸四日」とはどのくらいの距離になるのでしょう。江戸時代の旅人を参考にしてみます。

面白いサイトがありました。国土交通省関東地方整備局 横浜国道事務所がお作りになっている『東海道への誘(いざな)い』というページです。神奈川県内の旧東海道の宿場についてや、宿場探訪マップの紹介などがされているのですが、そこに「東海道Q&A」という項目があって、江戸時代の旅についての説明があります。

 「お江戸日本橋 七つだち 初のぼり~」という歌は、作詞・作曲不明の「民謡」だとそうですが、「七つ」は時刻でだいたい午前4時頃です。「だいたい」というのは当時の日本は「不定時法」ですから、季節によって時刻が変わるのです。いずれにしても夜明け前に出発するようです。そして日暮れ近くにたどりつく戸塚が最初の宿泊地のことが多かったようです。日本橋から約42㎞!マラソンランナーなら2時間ほどで走り切ってしまいますが、普通に8時間から10時間、歩いてです。え?マジっすか?「丸四日」とは、そのように「夜明け前から歩きだして、日暮れまで歩いて4日間」ということですよね。ちなみに『東海道中膝栗毛』(十返舎一九)の中で、弥次さんと喜多さんは3日目に箱根宿についています。箱根駅伝のコースだと107.5㎞。

日本橋を起点に想像すると、キリヒトたちの山里は箱根の向こうか、伊豆半島の山中でしょうか。そこを歩くのか……遠いですね。マラソンランナー並みと思われる「伝令使」はそこを走って、3日目にかかるぐらいで着いてしまう、ということでしょう。

それなのに、いましがた到着したばかりのロワンは休息もとらずに都に取ってかえすつもりだった。 

と、キリヒトが驚くのもわかります。ロワン、すごい。 

『図書館の魔女』の勉強会 第一巻 2しゅたったつのときはちかづく⑦

 P31L14 キリヒトの背にひと包みの背嚢(はいのう)、先生には襷(たすき)にかけた風呂敷(ふろしき)

ここは「襷(たすき)」です。

「たすき」と聞いて思い浮かべるのは、箱根駅伝の「たすき」でしょうか。あるいは、選挙の時、候補者が自分の名前を太々と書いて方からかけている、アレでしょうか。いずれも「一方の肩から他の腰へ斜めにかけた細い布」(『日本国語大辞典』にあたるでしょう。

 

本文でも「襷(たすき)にかけて」というのは、背中に荷物をしょって、その両端を片方の肩と、その反対の脇へ回して胸の前で結ぶことです。時代劇では武士が旅行をする際に、こういう荷物の背負い方をしていましたね。そんなに重い感じではありません。

さて、せっかくですから「たすき」について少し調べました。

たすき【襷】①上代(じょうだい)、神事奉仕の物忌(ものい)みの標(しるし)として肩にかける清浄な植物繊維の紐(ひも)。②幼児の着物の袖を肩にかけて結びあげる紐。③仕事をする時、和服の袖をたくしあげるために両肩から両脇へ斜め十文字形に

になるようにかけて結ぶ紐。④紐・線などを斜めにうち違えること。またその模様。⑤杉戸・板塀などの上部に細い木を斜め十文字にうち違え、飾りとしたもの。⑥漢字の構成で、「戈」第三画にみられるような「ノ」。⑦一方の肩から他の腰へ斜めにかけた細い布。 (『日本国語大辞典』)

下は「茶摘(ちゃつ)み」の 写真です。歌にあるような「あかねだすきに すげのかさ」を再現しています。肩から背中に掛けている紐が「たすき」です。

          f:id:tsuki89ma7ki0:20200424142300j:plain

因数分解で、なんで「たすきがけ」なのか?。背中が✖になっているところからなんだ、ということもわかります。

でも、一番最初の「上代(じょうだい)、神事奉仕の物忌(ものい)みの標(しるし)として」っていうのはびっくりです。

現代において襷は日常的な実用品となっているが、古代は神事の装飾品であった。群馬県で出土した巫女の人物埴輪では、「意須比」と呼ばれる前合せの衣服を締め、襷をかけている姿となっている。加えて、日本神話では天照大神(あまてらすおおみかみ)が天岩屋に隠れた際、

アメノウズメの命、天の香山(かぐやま)の天の日影を手次(たすき)にかけて 』  —古事記」 神代

踊ったと記されており、これらの巫女が着用した例は襷を掛ける者の穢れを除く、物忌みの意味があったとされている。(『 Wikipedia 「たすき」』)

            Seated Woman Haniwa.JPG
Kakidai - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

襷を掛けている巫女の人物埴輪。表面から見ると脇横の紐しか見えないが、背面から見ると斜め十字に掛けてあり、襷であることが分かる。(埴輪「腰掛ける巫女」重要文化財 東京国立博物館蔵)(『 Wikipedia 「たすき」』)

画像はWikipediaにあるものです。東博の資料画像にはこの埴輪の背面から写した写真があり、確かに紐が背中で✖になっています。 

古代では「穢れ」を取り除く意味があった「たすき」は、時代を経るにつれ、人々の服装の変化にも影響されます。「筒袖(つつそで)」だったものが、だんだん「袂(たもと)」のある形になった「着物」を着た一般の庶民が、身動きのためにその袖を紐でからげる「たすき」は、「労働」の印となります。かつては「神聖」な印だったものが、たとえば立場の上の人の前では「たすき」をはずすのが礼儀とされるようになる、そんな変化が歴史の中にあるんですね。

ちょっと横道にそれましたが、面白かったです。

『図書館の魔女』の勉強会 第一巻 2しゅったつのときはちかづく⑥-2

 P31L10 自分用には柄のところが太く膨らみ、体重をあずけるのに向いている櫟(いちい)の根を削り出したものを選んでいた。

えー、「櫟(いちい)」の謎の寄り道です。

奈良女子大学大学院人間文化研究科の文化史総合演習成果報告というHPで公開されている

奈良の都で食された菓子

http://www.nara-wu.ac.jp/grad-GP-life/bunkashi_hp/kodai_kashi/nara_kashi.html#mokuji

の中の「古代に食された菓子」で、

古代の日本において「菓子」といえば果物をさす言葉として認識されていました

とあり、そこに、関根真隆『奈良朝食生活の研究』吉川弘文館 1969 からの引用で

 
季節 菓子
春の味覚 梅子(うめ)  枇杷子(びわ
夏の味覚 李子(すもも) 梨子(なし)
秋の味覚 棗(なつめ)  桃子(もも) 生柿(なまがき)橘子(柑橘系)
栗(くり) ノブドウ 瓜(まくわうり)郁子(むべ)
冬の味覚 甘子(こうじ) 胡桃(くるみ)
保存食

椎(しい) 伊知比古(いちい) 榧(かや)

という表があるのですが、一番下の「保存食」に「伊知比古(いちい)」という文字があります。これが、何を示しているのかについて「いちご」説と、「いちいがし(クヌギ)」説があるのだそうです。

ところが「イチイガシ」は「イチイ」とはまた別の植物なのだそうです。

イチイガシ(一位樫、学名:Quercus gilva)はブナ科コナラ属の常緑高木

Wikipedia

で、この実は「灰汁(あく)抜き」をしなくても食べられるのだそうです。あーもう、なにがなんだか。

でも、「体重をあずけるのに向いている」ってどういうことでしょうね。硬い?柔らかし?よくしなる?よくわかりません。

ちなみにキリヒトには「黒檀(こくたん)」の杖が渡されます。「長らく先生が大事にしていたもので」「杣道(そまみち=やまみち)をたどる時には持ち出したことがなかった」杖です。その前に「選んでいた」とあるので、複数の杖があることがわかります。先生は山道を歩くときには杖が必要なのでしょうか。

キリヒトの杖はこの後にまた出てきますので、そこで触れたいと思います。イチイはここまで。

『図書館の魔女』の勉強会 第一巻 2しゅったつのときはちかづく⑥-1

 P31L10 自分用には柄のところが太く膨らみ、体重をあずけるのに向いている櫟(いちい)の根を削り出したものを選んでいた。

えー、「櫟(いちい)」です。はじめは「根を削り出したもの」というところに引っかかったのです。竹の根=地下茎ですね=を使った杖というのはあるようですが、本文ではわざわざ「櫟(いちい)の根」と特定しているので、特に杖に適している素材なのかな、と思って「櫟(いちい)」を調べだしたところで停止中。「イチイ」を検索すると

クヌギ

櫟(クヌギ) : ブナ科コナラ属落葉樹。橡、椚とも。

櫟(イチイ) : イチイ科イチイ属針葉樹。一位とも。 『 Wikipedia

 は?です。同じ字なのに? こちらは「クヌギ

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日本ですと、岩手県山形県より南に分布する、まるっこいどんぐりのなる木です。実は渋みが強いので灰汁(あく)抜きが必要ですが、縄文時代の遺跡から発掘されているそうなので、古代から食用とされていたようです。木自体も成長が早く、建材として利用されたり、樹皮は漢方薬に用いられるそうです。

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こちらが「イチイ」。全然別物じゃない!こちらは日本ですと中部地方以北の寒い地域に分布するそうです。

木材としては年輪の幅が狭く緻密で狂いが生じにくく加工しやすい、光沢があって美しいという特徴をもつ。工芸品や机の天板、天井板、鉛筆として用いられ、岐阜県飛騨地方の一位一刀彫が知られる。また弾力性に富むことから、アイヌはイチイを狩猟用の弓を作る材料として使用した。イチイのアイヌ語名「クネニ」は、「弓の木」の意味である

古代日本(一説には仁徳天皇の時代)では高官の用いるを造るのにこの木が使われた。和名のイチイ(一位)はこれに由来するという説もある。2019年徳仁天皇即位の礼大嘗祭においても、イチイ製のが用いられた

水浸液や鋸屑からとれる赤色の染料(山蘇芳)も利用されるヒノキよりも堅いとされることや希少性から高価である。『Wikipedia

 ただ、樹皮はどちらも「縦に割れ目ができる」とあるので似ているのかもしれません。今は植物園に出かけるわけにはいかないので、確かめられません。

そこで手元にある漢和辞典でまず「クヌギ」を引くと・・・

    櫟  挧  椚  様  橡  櫪  『漢字源』(学習研究社

ええーっ、全部「くぬぎ」です。それぞれ意味があるのですが、「櫟」の字はもともと「樂(がく)」で、「糸」の上の部分は「繭(まゆ)」を表し、真ん中の「白(はく)」は「どんぐり」を表しているのだそうです(「その実のしろい中みを示す」『漢字源』)。それに+木=樂。その後「樂が音楽・快楽の意に転用されたので(木へんをつけて)櫟で原義をあらわす」(『漢字源』)ようになったのだとか。

 確かに

 またクヌギは、ヤママユガクスサンオオミズアオのような、ヤママユガ科の幼虫の食樹の一つである。『Wikipedia クヌギ

 と、野生の「繭」がつく木であったです。それじゃー、クヌギじゃーないかー。

では次に「イチイ」を引いてみましょう。いたわる、イチ、いち、いちご、いちじるしい、イツ・・あれ?ない?ありません。少なくとも『漢字源』には「イチイ」という漢字は収録されてないのです。あー、『大漢和辞典』処分しなけりゃよかったなぁ。30年近く、引っ越ししてもその都度ちゃんと移動させてたのですが、この前の引っ越しの時、「図書館で調べれられるよ」と処分してしまいました。図書館に行けなくなる事態が起こるなんて想定外!

じゃあ「櫟」を「イチイ」と読むのが間違いかというと、そういうわけでもありません。地名や苗字に使われてますし、現に作品の中でも使われています。あー、どなたかこの謎を教えてください。

『図書館の魔女』の勉強会 第一巻 2しゅったつのときはちかづく⑤-3

P31L6 先生は竹筒に水を満たして栓をすると、三人分をキリヒトの背嚢に持たせた。

「竹」です。

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ちょうどこんな感じでしょうか。

タケは「温暖で湿潤な気候」を好む植物だそうで、赤道を中心に、だいたい南緯も北緯も40度付近までに分布しています。「湿潤」も大事なので、同じ緯度でも、アラビア半島から地中海周辺の地域には生息していません。日本でも秋田県岩手県の北の県境辺りが北限のようです。

この特殊な形の植物を、人は加工することによってさまざまな生活用品として、利用してきました。竹と人との歴史はそれはそれで大変興味深いことですが、脱線が過ぎるので、ここでは「割と南方系の植物」ということを確認しておくだけにします。

かといってキリヒト達の山里に竹が生えているかどうかまではわかりません。昔、どこか他の地域で手に入れたものを、大事に使っているということも考えられます。でも3つある、というところが引っ掛かります。先生のでも、キリヒトのでもない、第三者の分もある。私には、やはりこの山里にタケが生育しているのではないかと思えます。

 

P31L7 先生自身の荷物は風呂敷(ふろしき)に脚絆(きゃはん)と手拭(てぬぐ)いをいれたぐらいで簡単に用意していた。

「風呂敷」です。

風呂に入る時に、脱いだ衣服を包んだところから「風呂敷」というらしいです。「風呂」って、意外と歴史があるものなのですね。

Wikipedia などのWebでの情報がどれも似たり寄ったりで、Wikiは「出典があきらかでない」とされてしまっていますが、出典はのではこの文章ではないでしょうか。https://www.minpaku.ac.jp/museum/exhibition/special/200210/world

大阪の万博記念公園にある 国立民族学博物館で、2002年10月~2003年1月に特別展『世界の大風呂敷展ー布で包む、ものと心』という展覧会が開催されています。この文章はその解説として、熊倉功夫先生が書かれているもので、図録か何かの文章と思われます。世界の「布で包む」文化について述べられていて、大変興味深いです。

ちなみに、この文章があるのは、「日本の造形」というサイトです。kousin242.sakura.ne.jp/wordpress/

で、「風呂敷(ふろしき)」と言ってしまうと、なんだか日本固有のもののように感じてしまいますが、「ものを布で包んで運ぶ」文化は日本に限ったものではないことがわかります。 

一応、「手拭(てぬぐ)い」も。

てぬぐい【手拭(い)】手・顔・からだをふいたりするのに使う薄い日本

          風のもめんの布。『新明解国語辞典

 剣道の面をつける時頭に巻く、あの布です。先生は着替えをお持ちにならないのですね。

『図書館の魔女』の勉強会 第一巻 2しゅったつのときはちかづく⑤-2

P31L4 キリヒトはすでに昨晩から用意してあった背嚢(はいのう)に、着替えと僅(わず)かな生活の道具と・・・

引き続き「背嚢(はいのう)」です。さて、キリヒトが背負ったのはどんな形のものだったのでしょうか?「背嚢」で図像検索をすると、軍隊で使っているようなものがヒットします。使い込まれた革製のもの?ざっくりとした感じの厚い布地のもの?どうもイメージがわきません。

昔の人はどうしてたかなー。

          01.jpg 

         歌川広重東海道五十三次』から「日本橋

大名行列の先頭を行く二人が担いでいるのは「挟(はさ)み箱(ばこ)」です。

江戸時代の携行用の担(にな)い箱。主として武家大名行列、登城(とじょう)など道中(どうちゅう)や外出をするとき、着替え用の衣類や具足(ぐそく)を中に入れて、従者に担(かつ)がせた黒塗り定紋(じょうもん)付きの木箱。上部に鐶(かん)がついていて、これに担い棒を通して肩に担ぐ。古くは挟み竹といって、二つに割った竹の間に衣類を畳んで挟み、肩に担いで持ち歩いたが、安土(あづち)桃山時代になると、箱に担い棒を通した形に改良された。江戸時代には、武家調度の必需品とされ、一方、民間でも商家の主人が年始回りなどに、年玉(としだま)の扇を挟み箱に入れ、鳶(とび)人足に持たせたり、町飛脚などが飛脚箱として用いた。また明治初年には、郵便集配や新聞配達もこれを用いた。[宮本瑞夫]

                 『日本大百科全書(ニッポニカ)』

手前の男性が担いでいるのは「天秤棒(てんびんぼう)」です。Wikipedia でもその説明に「日本橋」の図が使われていますね。

           13.jpg

          同上「沼津」

                       【画像】株式会社マーユMEIBIS事業部『浮世絵著作権フリー作品』から

真ん中の白い服装は「山伏(やまぶし)」と思われます。背負っているのは「笈(おい)」です。

行脚僧(あんぎゃそう)や修験者(しゅげんじゃ)などが仏像仏具,経巻,衣類などを入れて負う道具。 
                   『ブリタニカ国際大百科事典』
その前を行く女性らしき人物は、何か包みを首に背負っています。その右を歩く背の低い人物は筒状のものを肩から斜めに背負っています。これは、
P31L14 キリヒトの背に一包(ひとつつ)みの背嚢(はいのう)、先生には襷(たすき)にかけた風呂敷(ふろしき)
とある荷物の背負い方ですね。「襷(たすき)」?てか、「風呂敷」?
とりあえず、日本の江戸時代の人たちの荷物の背負い方はこんな感じかと思われます。袋を背負うのは大黒様くらいかな? 

               f:id:tsuki89ma7ki0:20200412134124j:plain

でも、結構な大きさだと思われるのです。

 P31L4 着替えと僅かな生活の具と二袋のパンの包みを・・

   L6 先生は竹筒に水を満たして栓をすると、三人の分をキリヒトの

     背嚢に持たせた。

という荷物が入っています。では、形は?この結論は保留です。もし将来映像化されるようなことがあったら、このシーンに注目しましょう。

『図書館の魔女』の勉強会 第一巻 2しゅったつのときはちかづく⑤-1

P31L4 キリヒトはすでに昨晩から用意してあった背嚢(はいのう)に、着替えと僅(わず)かな生活の道具と・・・

「背嚢(はいのう)」です。嚢(のう)は「袋(ふくろ)」、つまり「背負う袋」ということです。そうか、リュックサックだ!

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何か、ちがう、気がする。

背嚢【はいのう】軍人・学生などが物品を入れて背負う皮やズックでつ

        くった方形のカバン。    『日本国語大辞典』 

 いや、ズックって何?ってなりますね。数十年前は子供たちが履いてる靴はみんな「ズック」と呼んでいたような記憶があるのですが、今はほとんど目にしない単語です。ちなみに私が使用している『日本国語大辞典』は、昭和63年発行の縮刷版第一版です。

ズック(オランダ doek)太い亜麻糸(あまいと)、または木綿糸を用いた  

        厚地の平織物。帆・靴・担架・天幕・雨覆いなどに用い

        られる。        『日本国語大辞典

つまり「スニーカー」とか「キャンバス地」を考え考えれば、いいのかと。ところで「亜麻糸(あまいと)」が気になってしまいました。本題からどんどん離れていくけど、知っているようで知らないことを確かめていくのが「勉強会」なので。

亜麻【あま】(名)アマ科の一年草中央アジア・アラビア原産で、ヨー

      ロッパでは紀元前から栽培されていた。日本への渡来は元禄

      時代で亜麻仁油(あまにあぶら)をとるために栽培された。

      繊維用の栽培は明治に入って、北海道で開拓使によって成功

      したのが最初である。    『日本国語大辞典

Wikipedia ですと、

アマ(亜麻、学名:Linum usitatissimum)は、アマ科一年草。ヌメゴマ(滑胡麻)、一年亜麻、アカゴマなどの異称もある。その栽培の歴史は古い(リネン#歴史も参照)。日本では江戸時代に種を薬として使うために限られた範囲で栽培され、明治から昭和初期にかけて繊維用に北海道で広く生産された。

の繊維は、衣類などリネン製品となる。種子からは亜麻仁油(あまにゆ、リンシードオイル、フラックスシードオイル)が採れ、これは食用や塗料油彩に用いられる。

 今はやりの「アマニ油」って、これのことなんですね。でも、それより驚いたのは、Wikipediaの「麻」の項目では、

日本で麻の名称で流通している繊維のほとんどは、亜麻から作られるリネンである。また、日本工業規格 (JIS) にて麻の名称で流通させてよい繊維は、亜麻と苧麻のみであり、本来の麻(大麻)は含まれていない。家庭用品品質表示法によると、麻と呼ばれる繊維は苧麻と亜麻(リネン)の2種類を指す。これらは光沢と通気性があり、肌触りの良さから夏物の衣料品や寝装具などに用いられることが多い。繊維的には羊毛や綿花より硬いので、硬質繊維といわれる。なお、亜麻色とは、黄みを帯びた薄い茶色のことで亜麻からきた色名である。

とあり、現在私たちが目にする「麻」製品は「亜麻」から作られているようです。『亜麻色の髪の乙女』は作詞:橋本淳 さん、作曲・編曲:すぎやまこういちさんの名曲です。ちなみに、

リネン: linen)または亜麻布(あまぬの)とは、亜麻繊維を原料とした織物の総称。フランス語ではリンネル (linière) 。広義で麻繊維に含まれ、麻特有のカラッとした風合いがある。中近東では肌着として使われてきており、エジプトのミイラを巻くのにも使われた。

またこれから転じて、ホテル病院などにおいて、シーツ、枕カバー、タオルテーブルクロスなどの布製品を総称してリネンという。実際には現代では必ずしもシーツ類にリネン製品が使われているわけではない。これらの布製品を洗濯したあと保管するための部屋はリネン室という。 

                       『Wikipedia

綿のクロス類を「リネン」っていうのだと思っていたので、ちょっと慌てたのですが、あながち誤りではなさそうでよかった。さて、ずいぶん遠ざかってしまいましたが、問題はキリヒトの「背嚢」だったのです。