『図書館の魔女』勉強会 第一巻 1やまざとでのさいごのいちにち③

P12 L8 老人が蠟燭(ろうそく)の明かりの下で

ということで『蝋燭」に引っかかってしまいました。

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綿糸などをよりあわせたものを芯にして、芯の周囲に蝋やパラフィンを成型したもののこと。芯に火を灯して灯りなどにして用いる。(ウィキペディア「ろうそく」) 

 ろうそくの起源は古く、紀元前1500年頃の古代エジプトの遺跡から「燭台」とみられる出土品があるようです(上記ウィキペディア「ろうそく」)。が、ろうそくが 現在のように一般庶民であるわたしたちが、気軽に使えるような安価なものになるのは、19世紀にパラフィンが登場してからのようです。

 

 日本おいても、おそらくは仏教の伝来とともにろうそくが輸入されるようになったと考えられますが、その仕様は寺社や宮中での儀式などに限られていたのではないかといわれます。たとえば平安時代の貴族の生活が描かれている『枕草子』の中でも、「大殿油(おおとのあぶら)まゐりて、夜ふくるまでよませ給ひける・・灯火をおつけして、夜が更けるまでお読ませになる。(第二十三段)」とあって、油を用いた灯火が使われているのがわかります。

 現在の生活でも冬の暖房に欠かせない「灯油」。ここにも「灯」の字がありますね。「行灯(あんどん)」「提灯(ちょうちん)」、あるいはランプ。電気が一般家庭に普及するまで、「灯油」を使った灯火がろうそくとともに庶民の照明だったのです。

 それでも「ろうそく」。

 ローマ時代後期(4世紀)の北部ヨーロッパで「獣脂ろうそく」が誕生します。必要は発明の母。温暖な地中海地方では入手しやすいオリーブ油が照明用に使われていたのに対して、寒い北部ヨーロッパでは「獣脂」を照明に用いたのです。

そこで、この地方の遊牧民は、牛脂などの獣脂を利用してろうそくを作った。つまり、加熱して溶かした獣脂の中にイグサなどの茎で作った芯を浸すと、その加熱温度でも融けない高融点の固形成分が芯にまとわり付く。それを引き出し、いちど冷やし固めてからまた浸せば、固形成分がさらにまとわり付いて、より太くなる。これを繰り返しすことでろうそくを成形できる。(ウィキペディア「ろうそく」より)

 ローマ帝国末期(5世紀)には西ヨーロッパでもオリーブ油が不足して、獣脂ろうそくが広まったそうです。

 中国では前漢(紀元前2世紀頃)の字書に「蜜蠟」についての記載があるそうです(日本財団図書館 自然と文化72号 『中国伝統のろうそく文化:孫建君(翻訳・岡田陽一)』)。「蜜蠟(みつろう)」とは、ミツバチの巣から得られる蠟のことです。

ミツバチが巣を作る際、腹部腹板にある蝋線という器官から分泌する蝋。ミツバチの巣の主成分で、これを加熱融解して得られる。精製すると無臭になるが、精製前は蜂蜜のような甘い香りがする。絵具や化粧品、クリーム、蝋燭、石鹸の材料となる。(ウィキペディア「蝋(ろう)」より)

 日本に入ってきたろうそくもこの蜜蠟から作られたものだったのでしょうか。しかし、それを運んできた遣唐使も894(寛平6)年菅原道真の建議により休止。唐自体も、907(延喜7)年に滅んでしまいます。歴史的にはこの後「国風文化」が花開くのですが、ろうそくも国産化します。

 ちょっと(というかいつもというか)脱線しますが、ウィキペディアは「蝋」の字を使用しているのです。この字が私の愛用の『新字源』には載っていなくて、あちこち探してもなくて、はて、ワープロ用にできた新しい略字なのかななどと思っておりましたら、いらっしゃるんですねぇちゃんとお勉強なさってる方が。

「増殖(本当は難しい字の「殖」)難讀漢字辭典.com」というサイトがありました。

 そちらによりますと、「蝋」は「蠟」の略字で、日本だと江戸時代から使われ出しているそうです。出典の影印もちゃんとあって、これはどうやって手に入れて、どうやってアップしているんだろうと、ブログ初心者にはびっくりのサイトです。漢字検定準一級出題以上の難しい漢字は、こちらにお聞きしましょう。

 さてさてろうそく。

 国産ろうそくの主な原料は「ハゼノキ」というウルシ科の植物の実だそうです。東南アジアから東アジアに自生して、日本には江戸時代に琉球王国から輸入されたのだそうです。それまでは、日本に自生していたウルシなどから作られていたようです。「漆器」につかう「ウルシ」。縄文時代にその使用例があるということですが、ろうそくにもなったのですね、

 日本のろうそくは特に「和蝋燭」と呼ばれます。ヨーロッパの獣脂がメインのろうそくとは材料も違いますが、製造方法も違うのです。「和蝋燭」は蠟をつける真ん中の芯を、最後に抜くので中に穴が通っているのだそうです。だがら、炎が大きいのだとか。「和蝋燭」についてはウィキよりも「小大黒屋」さんという福井県にある和蝋燭屋さんのサイトが、作り方・原材料など写真も多くわかりやすいです。

和ろうそくと西洋ろうそくの違いの一つは「芯」です。 一般的に、和ろうそくの芯は「和紙」、西洋ろうそく芯は「糸」と区別されています。

和ろうそくの芯は、和紙を棒に巻きつけ、ろう漬けしたもの。
棒に巻きつけることによって、芯の上まで空洞ができます。その空洞で空気が供給されます。

和ろうそくの炎が、風がないときに揺れたり、ぽんぽんと弾むのは、芯から空気が流れ出ることによって起きる現象です。芯から空気が供給されるため、西洋ろうそくの灯りと比べ、炎の中心部分の照度が高いのです。(小大黒屋HPより「和ろうそくの材料」)

  江戸時代中期以降、「和蝋燭」の原料となる「ハゼ蠟」は産業として発達します。1867(慶応3)年のパリ万国博覧会には、薩摩藩がハゼノキから採った「木蝋(もくろう)」を出品するなど、明治初期には主要な輸出産物となっていたようです。あのファラデーの『ろうそくの科学』でも日本の「ろう」について触れられています。

「これは私たちが開国をうながした、はるか遠くの異国、日本からもたらされた物質です。 これは一種のワックスで、親切な友達が送ってくださったものです。これもロウソク製造用の新しい材料ですね」(『ロウソクの科学』マイケル・ファラデー:著 竹内敬人:訳 岩波文庫

 ファラデーとは「もし19世紀にノーベル賞があったら、この人は幾度も受賞したはず・・・」(『「ロウソクの科学』が教えてくれること』裏表紙より)ともいわれるイギリスの化学・物理学者で、電磁誘導の法則反磁性電気分解の法則などを発見。化学者としては、ベンゼンを発見し、塩素の包接水和物を研究し、原始的な形のブンゼンバーナーを発明し、酸化数の体系を提案。アノードカソード電極 、イオンといった用語はファラデーが一般化させたという人です。いやすごい。

 その一方で、イギリスの王立研究所で一般大衆向けの講演を企画しました。そのひとつが現在までも続いている「クリスマス講演」(正式名称「少年少女の聴衆のためのクリスマス講演)です。ファラデーは、1860年12月27日から翌年1月8日までの6回の講演を行い、それをウィリアム・クルックスが記録出版したものが『ロウソクの科学』です(原題は『A COURSE OF SIX LECTURES ON THE CHEMICAL HISTORY OF A CANDLE』) 。ちなみに昨年SBクリエイティブ社のサイエンス・アイ新書から『「ロウソクの科学」が教えてくれること』という本が出ています。写真や解説が豊富で、岩波文庫版だと分かりにくかった部分が易しく解説されています。

 文中では「若い方たち」という言い方がたびたび出てきますが、ファラデーは単に科学実験を見せているだけではありません。

さて、多くの物事についても当てはまるのですが、ロウソクについて、お椀がうまくできないといった大失敗は、失敗しなければ学べなかったようなことを私たちに教えてくれます。(『ロウソクの科学』第1講)

 と語りかけ、二酸化炭素と植物の関係から、

つまり、ヒトはヒト同士依存しあっているだけではなく、共存する他の生物とも依存しあっているのです。大自然は、一方を他方の利益のために貢献させる法則によって結ばれているのです。(同書 第6講)

 と、自然の中での人間について語りかけるのです。そして、全6回の講義の最後は、

すなわち皆さんのすべての行動において、人類に対する皆さんの義務の遂行おいて、皆さんの行動を正しく、有益なものにすることによって、ロウソクのように世界を照らしてください。(同書 第6講)

 と、結ばれるのです。

 『ロウソクの科学』の中の一項目「ろうそくが燃えるとはいったいどういうことが起きているのか」(第1講)というこの部分で、「ランベスのフィールドさん」というロウソク製造工場の持ち主から提供されたというロウソクの見本を見せて、ファラデーはロウソクの材料について説明する中で先の「日本の」ろうが紹介されます。ロシア産の牛脂、ステアリン、鯨油ロウソク、そして日本のハゼ蠟という並びです。

 鯨油(げいゆ)というのは、マッコウクジラシロナガスクジラから皮下脂肪から採られる油です。それとは別に、マッコウクジラの頭部にある鯨油器官内の脳油から鯨油を分離した残りの無臭の個体蝋を「鯨蝋(げいろう)」というそうです。いずれにしても19世紀までの人々は鯨によってその灯りを得ていたことになります。

 さて、キリヒトの先生の手元を照らしていたのは、どんな蠟燭だったのでしょうね。