『図書館の魔女』の勉強会 第一巻 2しゅったつのときはちかづく⑤-2

P31L4 キリヒトはすでに昨晩から用意してあった背嚢(はいのう)に、着替えと僅(わず)かな生活の道具と・・・

引き続き「背嚢(はいのう)」です。さて、キリヒトが背負ったのはどんな形のものだったのでしょうか?「背嚢」で図像検索をすると、軍隊で使っているようなものがヒットします。使い込まれた革製のもの?ざっくりとした感じの厚い布地のもの?どうもイメージがわきません。

昔の人はどうしてたかなー。

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         歌川広重東海道五十三次』から「日本橋

大名行列の先頭を行く二人が担いでいるのは「挟(はさ)み箱(ばこ)」です。

江戸時代の携行用の担(にな)い箱。主として武家大名行列、登城(とじょう)など道中(どうちゅう)や外出をするとき、着替え用の衣類や具足(ぐそく)を中に入れて、従者に担(かつ)がせた黒塗り定紋(じょうもん)付きの木箱。上部に鐶(かん)がついていて、これに担い棒を通して肩に担ぐ。古くは挟み竹といって、二つに割った竹の間に衣類を畳んで挟み、肩に担いで持ち歩いたが、安土(あづち)桃山時代になると、箱に担い棒を通した形に改良された。江戸時代には、武家調度の必需品とされ、一方、民間でも商家の主人が年始回りなどに、年玉(としだま)の扇を挟み箱に入れ、鳶(とび)人足に持たせたり、町飛脚などが飛脚箱として用いた。また明治初年には、郵便集配や新聞配達もこれを用いた。[宮本瑞夫]

                 『日本大百科全書(ニッポニカ)』

手前の男性が担いでいるのは「天秤棒(てんびんぼう)」です。Wikipedia でもその説明に「日本橋」の図が使われていますね。

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          同上「沼津」

                       【画像】株式会社マーユMEIBIS事業部『浮世絵著作権フリー作品』から

真ん中の白い服装は「山伏(やまぶし)」と思われます。背負っているのは「笈(おい)」です。

行脚僧(あんぎゃそう)や修験者(しゅげんじゃ)などが仏像仏具,経巻,衣類などを入れて負う道具。 
                   『ブリタニカ国際大百科事典』
その前を行く女性らしき人物は、何か包みを首に背負っています。その右を歩く背の低い人物は筒状のものを肩から斜めに背負っています。これは、
P31L14 キリヒトの背に一包(ひとつつ)みの背嚢(はいのう)、先生には襷(たすき)にかけた風呂敷(ふろしき)
とある荷物の背負い方ですね。「襷(たすき)」?てか、「風呂敷」?
とりあえず、日本の江戸時代の人たちの荷物の背負い方はこんな感じかと思われます。袋を背負うのは大黒様くらいかな? 

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でも、結構な大きさだと思われるのです。

 P31L4 着替えと僅かな生活の具と二袋のパンの包みを・・

   L6 先生は竹筒に水を満たして栓をすると、三人の分をキリヒトの

     背嚢に持たせた。

という荷物が入っています。では、形は?この結論は保留です。もし将来映像化されるようなことがあったら、このシーンに注目しましょう。